聴かれない?新しい音楽
イラッシャイ、カンサイインディミュージックケンキュウカイ デス
初回は、何の当たり障りもない挨拶文程度でしたので今回はタイトルにした「聴かれない?新しい音楽」とそれっぽいテーマについて書こうと思います。
まずそのテーマについてでよく耳にするのが「高度情報社会による価値観の多様化によって音楽への興味そのものがなくなっしまった」ということです。
そこで私は「そうだよなぁ」と思う気持ちと逆にこうも思うのです。
「価値観が多様化してるなら音楽市場自体は縮小するのはわかる。でも同時に、もっと先鋭的なリスナーが増えてもいいんじゃない?」
「テクノロジー発展によって生み出される余暇(例えば洗濯機登場による家事負担の軽減など)によって人の意識が芸術に向きやすくなるのでは?」
では、現実はどうでしょうか。
「アレ、そんなに増えてないし、色々とそんなに上手くいってるとは言えないんじゃない?」というのが私の印象です(偏見を含みます)
ライヴハウスであったりレコード屋であったりの音楽と人とを繋げる場の数は間違いなく減っています。
殊、新しい音楽について言えば、地域ごとにある積極的なライヴハウスとレコード屋が孤軍奮闘の状態です。田舎には当然そんなものすらありません。一部渋谷のタワレコ新店舗などの例外はありますが、個人店は減る一方と考えて間違いないでしょう。
音楽雑誌も90年代ごろまでは、音楽と人を繋げることを役割と大きく貢献してくれていたのですが、「オカネのカンケイ」によってその役割を十分に果たしているとは言い難いのが現状です。この関係についての詳しくは、原雅明さんの著作にありますので、興味のある方はどうぞ。
ではインターネットの世界では?
ネット上に存在する膨大なアーカイブに容易にアクセスできるようになって目立つのは、新しい音楽ではなく、評価の定まった古い音楽であることが少なくありません。
個人ブログを見ても、新しい音楽を紹介しようというブログより、名盤を紹介することを目的としたブログの方が圧倒的に多いです。
音楽メディアも用意されてはいるのですが、そこに辿りつくための知識と情報が必要なため、これからインディにアクセスしようという人にはあまり優しくないように思います。
それについては、地域ごとにレコード屋があれば、そのレコード屋で買ったモノを調べた時に音楽メディアにヒットしてそこから深みに… のパターンが考えられますが、先述の通りでレコード屋とライヴハウスは減る一方なのでそのパターンも怪しいです。
これは個人的な体験なのであまり良い例であるとは言えませんが、大学に入学し、様々な音楽好きが集まるサークル、場所を巡ってみましたが、そこにいる人たちが聴いているのは古い音楽ばかりでした。
例えば、一般的な団体であればロキノン系(蔑称ではない)
もう少しコアな団体になるとOasis
もう一歩か二歩コアになるとヴェルヴェットアンダーグラウンド
そこには昔の日本のパンク、頭脳警察、村八分を好きなんて人もいました。
(これは悪意をもって書いたのではないので注意!)
当然これだけではなくて、それぞれに好まれる音楽があったわけですが、
大半が日本語でWikipediaがあるようなアーティストばかりで、
新しい音楽は、ほとんどありませんでした。
ここまで読んで下されば、もはや言いたいことはわかっていただけると思いますが、悲しきことに一部の積極的な人たち以外に新しい音楽は十分に聴かれていないのです。
そこで、何が出来るかと考えた結果、
その孤立しがちな一部の積極的な人たち同士での交流は勿論、
それと「新しい音楽に興味はあるけど…」な人たちを繋げる役割として
関西インディミュージック研究会 にいたりました。
ここまで言うとスマート過ぎるのであれなのですが、
要は「面白い音楽が新しいものの中に沢山あるんだから、詳しい人も詳しくない人も一緒に集まって、新しい音楽について色々と情報交換したり、レコード買ったりしようよ!」ということです。
日本のインディ好きは内向きな傾向がある(当社調べ)のか積極的なコミュニケーションを好まず(?)、孤立しがちなのでそこを上手く繋げたいとの気持ちもあります。
色々と書きましたが、来年にJerry paper(カセットシーンの凄い人)Julianna Barwick(とにかく神聖な音を出す女性)の来日が実現してしまうのも日本の面白さではあると思います。どこかに聴いている人たちがいるのでしょう。
「もっとインディシーンが点の集まりではなくて一つの線となって全体が活性化すればいいよね!」との思いで書きました。
今回はここまでです。
ちなみに今年の少し前にあった私も参加したカセットテープレーベルイベントでは、観客10名程度でした…(実話)